2015年03月07日

価値のない所有権

私は姉と二人兄弟だ。
姉には息子が一人いる。

姉夫婦が死んだら甥が彼らの自宅(県庁所在地のマンション)を相続する。
義兄には田舎に実家がある。
これも甥が相続する。

私は独身である。
私が死んだら私の実家も甥が相続する。
彼は生まれながら3軒の所有権を持っていることになる。

私の実家も義兄の実家も地方の郊外だからほとんど価値はない。
売値でいえば、姉夫婦マンション>私の実家>義兄の実家の順である。
甥が相続する頃にはマンションも古くなっているから、3軒合わせても1千万になるかどうか分からない。

それにしても甥はこの3軒をどう始末するのか。
県外で就職すればこれらすべてが空き家になる。
そういえば義兄の実家には山もあったはずだ。
ひとつひとつは少ないとはいえ、合わせれば固定資産税も面倒だ。

今後こういう子供は増えるだろう。
私には関係のない話ではあるが、ふと考えるときもある。

posted by なすび at 22:59| Comment(6) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月23日

いらないものばかり

TV通販は老人・専業主婦を相手にしたビジネスである。
平日昼間に流すことが多いからだ。

商品の特徴としては「必需品でなく」、「割高である」というのが私見である。
そんな商品を買う人は「余裕があり」、「情報がなく」、「退屈している」人だろう。

50代以下が定年になる頃は、今の老人ほど金銭的な余裕はない。
専業主婦も激減する。
しかし、ネットは使えるので情報はある。
(退屈はしてるだろうが。)

よってTV通販ビジネスが衰退することは間違いない。
TV通販の主要商品は健康食品、保険、変な衣類・・・本当にいらないものばかりだ。

posted by なすび at 18:07| Comment(6) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月16日

田舎の変化

実家の隣は大きな農家だった。
息子は東大を出て、官僚になった。

何番目かの娘が結婚して、敷地内に土地を貰い、家を建てた。
他は皆他所に出たので、父母の面倒を見たのはその娘夫婦だ。

息子は定年後実家に帰りたかったようだ。
しかし東京で生まれ育った嫁や子供が了承するはずはない。
結局息子は東京で死んだ。

息子の嫁は隣家の土地を娘夫婦に買ってくれと言ってきた。
娘夫婦にしても転売する以外処置のない土地ではあるが、結局買わされたようだ。

実家の辺りでは最近土地は売れない。
実家の地価も随分と下がっている。
実家も隣家もそうだが、中途半端に広い土地は分割するしかなく、売り難いのだ。

気がつけば娘夫婦も70半ば、彼らの娘二人は他所に嫁いでいる。
娘夫婦が亡くなれば、この土地も売りに出されるだろう。

空き地のままであれば結構だが、アパートでも建ったら適わない。
実家の洋間から隣家の土地越しに見える空は広がりがある。
それが塞がれてしまえば随分と窮屈に感じるだろう。
片方の隣も広い医家だったが、これも娘ばかりで、売却され3軒に分割された。

時間と共に変遷するのは都会ばかりではない。
田舎も間違いなく変化している。

posted by なすび at 18:16| Comment(6) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月29日

私はもう終わっている

53歳の私は一応管理職だが、同期では「中の下」くらいだろう。
役職はもう上がることはないので、「終わっている」状態だ。

しかし、50を過ぎて昇進する人間は限られている。
役員や部長に手が届くクラスである。
だから、同期の8割方「もう終わっている」のである。

現状維持で60を迎えられたら御の字で、多くは格下げされるだろう。
格下げされたら二度と這い上がることはできない。
もう、そういう年齢になっている。

収入は下がり、部下を上司にし、権限はなく、仕事も雑務である。
最近流行の女性上司を迎えるかもしれない。

しかし、私のように途中で辞めることができるのは少数である。
妻子やローンを抱えた人は65まで頑張らなくてはならない。
このつまらない状態で・・・同情を禁じえない。

しかし、そんなことを考えるのは私だけかもしれない。
家で一人ぷらぷらしているより、会社に行って何かしている方が救われると思う人も多いだろう。
30年以上会社勤めをしていると、思考も生活も集団に頼るようになる。

私は会社勤めにも、今の会社にも、会社の知人にも執着はない。
辞めてしまえば、これらすべての関係は切れるだろう。
儀礼はお互いに徒労である。
辞めるときは誰にも気づかれず、消え入るように辞めたいと願っている。

posted by なすび at 18:02| Comment(6) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月02日

誰がオボちゃんを追い詰めたのか

死者に鞭打つようで恐縮だが、再びオボちゃんの話である。

オボちゃん、理研で検証することになったようだ。
一人で、しかも監視カメラ付きで。

もちろんオボちゃんにとって喜ばしい話ではない。
オボちゃんはすべての人的パフォーマンスを禁じられ、結果のみが求めれられる場所に追いやられたからだ。

結果こそが科学の本位であり、要は本来の場所に置かれただけのことだ。
しかし、それがオボちゃんを困らせる。

その道の専門家も、理研も、いまや一般人さえ、オボちゃんを疑っている。
その上で、検証させるのだからキツイ話だ。
嘘を告白させる場を作ったようなものだ。

誰がオボちゃんをそこまで追い詰めたのか。

美女にゆるくて、同情好きな世論である。
ある時点で切り捨てておけば、彼女もここまで追い込まれることはなかっただろう。

しかし、この処置はかなり政治がらみの臭いがする。
理研の意向と言うよりは、政府の意向という気がする。

ゆるくて、同情好きな世論をかわしながら、韓国を追い詰める安倍政権と同じ臭いがする。
そういえば、オボちゃんも韓国も何となく似ているし、同情する層も重なりそうだ。


posted by なすび at 23:00| Comment(2) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする