2018年07月12日

失われた人たち

3000年前、東日本には縄文人が住んでいた。
彼らは大変古い血を持った人たちで、アジアのどの民族とも違うDNAを持っていた。
同じ頃、西日本では弥生人が暮していた。
彼らは在来の縄文人と外来の中国系が混血したハイブリッドである。

5e28f758.jpg

日本には元来、縄文人だけが住んでいたと思われる。
が、いつの頃か、中国系の渡来人が渡って来て混血した。
3000年前以後も相当数の渡来人が訪れ、さらに混血が進んだ。
2000年前には中国系88%、縄文系12%という割合の弥生人が完成した。
これが我々日本人の直接の祖先であり、その比率は現在も変わっていない。

私は現代日本人が縄文人の血をもっと多く受け継いでいると思っていた。
が、最新の核DNAの調査結果では12%であった。
Y染色体やミトコンドリアDNAによる調査結果ではもう少し高い割合だが、核DNAの方が遺伝子情報が多く、正確ということらしい。

我々は縄文人という特異な血を1割だけ受け継いだ中国人という言い方もできる。
何だか残念である。
中国の歴史や文化、風俗を学べば学ぶほど「一緒にされたくない」という思いが強くなるからだ。

縄文人は優しい人であった。
彼らの墓から武器で傷ついた人骨が一切見つからない。
戦争を嫌った民族であった。

優しい縄文人が中国系渡来人に駆逐され、支配されたと考えるのが自然かもしれない。
縄文の男は殺され、女は子を産まされたと・・・。

ところが、実態はそうでもないのが面白い。
我々日本人は縄文の男子からも女子からもDNAを受け継いでいる。
そして、我々が話す言葉(日本語)は中国語と文法も発音も似ていない。
支配征服されたのであれば、男系の遺伝子は残らず、言葉も中国語になっていたはずだ。
だから、両者が長い時間を掛け、比較的温和に融合したと考えられる。

研究者の今後の課題はいつ、どこで、どのような形で縄文人と渡来人が融合したかである。
私も興味があるところであり、素人なりに空想を楽しんでいる。

posted by なすび at 08:35| Comment(17) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月10日

ブログ村の注目記事について

以前から、「たいして面白くないのに、いつも注目ランキングの高いブログがあるな」と思っていた。
最近、「順位」の右側にある「画像」の部分をクリックすると、他人のブログでもランキングポイントを見ることができることを発見した。
私がメインにしているセミリタイア村はさすがに角が立つので、政治村での調査結果を報告する。

順位の高いブログの特徴としては、

・インポイントがやたら高い。
 最も割合が低いものでもアウトポイントの50%以上ある。
 インポイントの方がアウトポイントより高いブログも半数近くあった。

・アウトポイントはそれほど高くない。
 一日1000ポイントあれば多い方だろう。
 これは政治村全般の傾向で、政治村は書く人は多いが読む人は少ないサイトということができる。

・この傾向に思想的な偏りはない。
 左翼も中道もほぼ同じである。

ポイントについては、

・インポイントはアウトポイントの10%以下が普通である。
 わざわざバナーボタンを押してくれる優しい読者などそう多くないからだ。
 よほど固定ファンを持っているブログでも10%を超えることは少ないだろう。
 ちなみに、私のブログは5%以下である。

・ブログ村の注目ランキングの評価はインポイントに大きく依存する。
 アウトポイントに比べて、インポイントの配点が相当高いからである。

・ポイントは1日一回で、同じ端末からは受け付けない。
 100〜200ポイントであれば、「仲間と協力する」「自分で複数の端末を操作する」ことで対応可能だ。
 しかし、それを超えてくると、やはり不特定多数の読者から入れてもらうしかない。

以上から、政治村の人気ブログは、

・政治村を経由せず、ブックマークなどを設定し、直接ブログにアクセスする読者を多数持っている。

・読者には非常にコアなファンが多く、面倒がらずバナーをクリックしてくれる。

という、「特異なブログ」ということができる。

実は、ひとつだけ異様なブログがあった。
1週間通してインポイントもアウトポイントも0。
にも拘らず、ランキングは上位。
運営に理由を聞きたいものだ。


【追記】
 ちなみに、アウトポイントとは、ブログ村の記事一覧から選択して該当ブログに飛ぶときに発生するポイントだ。
 インポイントとは、ブログのバナーボタンを押すことによってブログ村のランキング一覧に戻るときに発生する。
 要はアウトポイントは読者が面白そうと思えば自然に発生するが、インポイントは意図してボタンを押さない限り発生しない。

posted by なすび at 21:53| Comment(8) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月09日

コメントについて

私は自分のブログにコメントを貰うのも好きだが、他人のブログに入れるのも嫌いではない。
暇なときは、ブログを見まくって、気が向いたら、どんどん入れる。

下品な言い回しはしないが、中身は斟酌しない。
間違っていれば指摘するし、矛盾があれば、それも指摘する。
もちろん、感心したら誉める。
要は思った通り書くようにしている。

ということで、コメントを入れるのに理想的なブログは以下の通り。

 @リプライが必ずあること
  会話を楽しみたいわけだから、返信がないブログは最悪である。
  コメントする意味がない。

 Aリプライがタイムリーであること
  あまり遅すぎると、コメントを入れたことを忘れてしまう。
  返信はできるだけタイムリーに返して欲しい。

 Bコメント入力時に制約がないこと
  メールアドレスを必須にしているブログは最悪である。
  たかだかコメントごときに個人情報を求める人の気が知れない。
  コメント欄を閉じることをお薦めする。
  あと、変な文字や数字を入れさせるのも嫌い。
  あれは大変見づらく、エラーも多い。
  ギリギリ許せるのが承認制。
  私はそれも嫌いだから、このブログはオールフリーにしている。

ちなみに、私のブログは@Bは完全にクリアしているが、Aの返信が遅れる場合がある。
大抵ゲームに熱中して、パソコンを見ていないときである。
ご容赦願いたいものだ。

posted by なすび at 11:03| Comment(16) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月05日

好きな時代

700年代初頭、日本で最初の歴史書が作られた。
古事記・日本書紀である。

当時の伝承や記憶をベースに作られたから、時代が遡るにつれて記述も怪しくなる。
曖昧、断片的、矛盾・・・要は、「正確でない」ということだ。

書かれた100年前、すなわち600年前後までは「そこそこ正確」と言われている。
推古天皇の時代である。
聖徳太子や蘇我馬子が活躍していた。
この辺りまでは信頼に足る。

卑弥呼を除いて、日本史の有名人はすべて600年以降である。
様々なエピソードが歴史書に残っているからだ。
いくら活躍しても記録に残らない限り、我々の知りようがない。

とはいえ、古事記・日本書紀には日本創生からの様々な記述がある。
「正確でなく」とも、考えたり、想像をめぐらす縁にはなる。

というこで、私は600年以前の歴史が面白い。
自分勝手な空想を楽しむことができるからだ。
古墳ができ始めた300年から600年までの300年間が好きな時代だ。

images.jpg

近場に古墳がある人は訪ねてみたらどうだろう。
大体、この300年間に作られているはずだ。
当時、この場所はどんな状態で、どんな人が暮していたのだろう・・・と。


【追記】
 日本が長い歴史を持っていることは間違いない。
 しかし、よく分かっているのは1400年前までである。
 中国や西欧に比べたら、かなり新しい歴史しか知りえていないと言える。
 理由は「文字を持っていなかった」からである。

posted by なすび at 09:15| Comment(2) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月05日

隠れキリシタン

隠れキリシタンの集落が世界遺産になるようである。
しかし、隠れキリシタンとは不思議な存在だ。
幕府から禁止されていたにもかかわらず、200年以上にわたって信仰を守り続けたのだから。

src_11060944.jpg

200年といえば10世代以上だろう。
管理統制の行き届いた日本社会で、これだけの期間見つからないなんてあり得ない。
また、それだけ隠し通さないといけない危険な信仰を10世代も維持できるとは思えない。

素朴な疑問が発生するときは、たいてい歴史のほうが間違っている。
(例えば、日本軍に強制連行さたと言うが、自分の娘や姉妹が連れ去られるのを当時の朝鮮男は黙って見ていたのだろうか。)

確かに江戸初期は強烈なキリシタン弾圧があった。
外国人宣教師が植民地支配の先兵となっており、一部の大名とつるんで密輸や人身売買をしたからである。
キリスト教徒は外国の侵略勢力の一部とみなされ、危険視された。
しかし、鎖国が徹底した以降は外国勢力との連携が断たれ、それほど危険なものではなくなった。

また、キリシタンも世代を経るごとに教義が変容し、日本的なものになった。
ほとんど洋風味のついた土俗信仰になっており、もはや一神教のキリスト教とはいえないものになった。

以上の理由から、幕府も江戸中期以降、取り締まりのゆるい黙認状態になったのではないか。
事実上の禁教解除である。
よって、隠れキリシタンもそれほど恐れることなく信仰を維持できたのだろう。

私の考える歴史・・・隠れキリシタンはキリスト教徒と呼べるものではなく、中期以降、幕府の弾圧もほとんどなかった。

でも、辛い禁教に何世代も耐え、本来のキリスト教義を守り続けたキリシタンのお手本でなければ、世界遺産にはしてもらえないな(笑)。

posted by なすび at 11:05| Comment(2) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする