2015年01月21日

親が金持ちなら

実家が特別裕福なわけではないから、学校を出ると就職して自活した。
会社が性に合わなかったから、何度も辞めたいと思った。

実家が金持ちなら40までも働いてはいまい。
親が文句を言わなければ、3年程度で辞めているかもしれない。

そうなれば二度と働くまいから、いい若いもんが日々時間を潰すことになる。
楽は楽だが、退屈もするし、劣等感も持つだろう。

働くという、皆がしている価値ある行為をしないのだから当然である。
金持ちであることは威張れても、親が金を持っているだけで、自分は何一つ貢献していない。

とはいえ、遊んで暮すのは楽でストレスも少ないから会社勤めなどもうできない。
親も諦めて潤沢な小遣いをくれるから、生活に困ることもない。
コンプレックスを腹に飲んだまま齢を重ねるのである・・・。

私の場合、親が金持ちならきっとこんな感じだ。
たぶん内向的な性格なら多くはそうだろう。

褒められたものではないが、いたしかたない。
自分のしてきたことを正当化しないでいられたら幸いである。

posted by なすび at 22:42| Comment(4) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月10日

何となく腹が立ってきた

吉野家の牛丼が380円に値上げされるようだ。
円安によるアメリカ牛肉高と賃金上昇が理由だろう。

私は2週間に一回程度訪れる場所があり、通り道に吉牛があるので、そのとき利用することが多い。
大体、牛丼並と卵、併せて360円を注文する。

さて、私はいくらまでなら吉牛を利用し続けるだろうか。

最近の人気メニューに牛すき鍋膳(630円)があるが、私は食べようと思ったことがない。
一般的な定食屋の値段に近いなら、せわしなくカウンターで食べる気はしない。
7〜800円程度で、普通の味、ゆっくりした店を探す。
5分、10分で済ませる食事に500円以上払うのは違う気がする。

新価格の場合、牛丼本体380円、卵をつければ440円である。
微妙な値段だな・・・ギリギリセーフか。

しかし、1年も経たないのに3割以上値上げする理由が分からない。
便乗値上げも甚だしい。
私の給与はそんなに上がっていない。

ライバルのすき家が没落したからといって、直ぐ値を上げるようでは客の支持を失うだろう。
何となく腹が立ってきた。
増税時の卵10円アップも気に入らなかった。

次回は卵を止めにして、牛丼380円のみで行くか。

posted by なすび at 18:44| Comment(8) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月06日

何だか切ないことだ

私はリタイアしたら地方の実家に帰る。
だから、「会社を辞めること=関西の都市部を去ること」だ。
高校を卒業してから35年、関西の都市部で生活したきた。
それなりに思い出も関係もある。

数年前まではこのままマンションでも買って、ここに住もうかと考えていた。
しかし、リタイアに気持ちが傾いてから、すっかり里心がついてしまった。
結局私にとってここは出稼ぎの場所に過ぎなかったのだろう。
永い、永い出稼ぎの場所。

それなりに多くの人と関係を持ってきたが、今はほとんど残っていない。
こちらで結婚し、子供を持ったら別だったろう。
しかし、男一人であれば、学生時代の友人がわずか、会社の友人が数人というところだ。
会社の友人などは会社を去れば疎遠になる。
永い割には随分とさっぱりしたものだ。

とはいえ、長年過してきた地だ、執着もある。
そこに多くの悔恨があるからだ。
それらの悔恨が改善される機会はこれで永久に失われることになる。
何だか切ないことだ。

posted by なすび at 18:44| Comment(6) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月10日

私の家

私が小さい頃、家は大家族だった。
曽祖母、祖父、祖母、父、母、叔父、叔母が二人、姉、私の10人家族だ。

私が10歳になる頃には家族は半減した。
曽祖母、祖父が死に、叔父は結婚して独立し、叔母二人も嫁に行ったからだ。

それから随分して、姉が嫁に行き、祖母、父と続けて亡くなったので、いまは母と私の二人だ。
私は18から他所に出ているので、実際は母一人ということになる。
嫁に来てこの家と血縁がない母だけが残っているのは不思議な気もするが、近所を見ても大体そんな感じだ。
やはり女は強いのだろう。

大人になって知ったのだが、曽祖母は曽祖父の後妻で、祖父と血の繋がりがなかった。
曽祖母は当時としては随分長生きだったが、他人ばかりの家の中で生き残るには知恵も使っただろう。
母が嫁に来た当初、何かと母を贔屓にしてくれたという。

実は祖母も後妻だったが、子供たちはすべて彼女の実子で、肩身は狭くなかった。
母も後妻であれば三代続けてということになるが、幸い(かどうか)父は初婚であった。

私はもちろん曽祖母を記憶しているが、曽祖父は知らない。
母も知らないので当然である。
現在の家族(母・私)が知っているのは、曽祖父の名前と逸話の一つ、二つである。
それがすべてだ。
曽祖父より先の祖先は名前さえ知らない。

旧家には家系図があって、随分昔の祖先の名や逸話が残っているのだろう。
しかし、私のような普通の家では四代前が精々だ。

posted by なすび at 21:50| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月02日

無理ではない

秋風が吹いて何気に物悲しい気分になってきた。
あまり内省的にならないよう気をつけよう。
人生には考えて分かることなど少ないのだから。

そんなときに思い出すのが岡倉天心の「茶の本」の一節だ。

 まあ、茶でも一口すすろうではないか。
 明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟はわが茶釜に聞こえている。
 はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。

私の場合は一缶目のビールを早々に飲み終え、今や二缶目である。
空は既に暗く、アパートから見えるのは団地や家々の灯りである。
聞こえるのは行き交う車の音、遠くで電車が鉄橋を渡る音。

まったく趣はないが「はかないこと」や「美しい取りとめのないこと」を思うのは無理ではなかろう。

posted by なすび at 19:07| Comment(4) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする