2014年10月28日

宝くじについて

近くのスーパーに宝くじ売り場がある。
買うのは中高年が多いようだ。
女性もいる。

宝くじの還元率は50%。
割のよい博打ではない。
しかし、元手も、甲斐性もない人が大金を掴む数少ないチャンスだ。
気持ちも分からなくはない。

仮に宝くじが当ったからといって人生が変わるわけではない。
この歳になるとそう思う。
会社を辞めて、一生遊んで暮せるかもしれないが、それだけである。

家族に尊重されないお父さんはそのままだし、孤独な老婆は孤独なままである。
寄って来るのは金目当ての人だけで、そのうちに嫌気がさしてしまう。
中高年になると、いまさら生き方など変えようがない。

とはいっても、お金がない人や会社が辛くて困っている人には夢のような話だ。
現実に悩みから開放されるからだ。
こういう人にこそ当って欲しいと思う。

ところで、購入する人には結構な高齢者もいる。
金があっても使える時間も体力もなさそうに見える。
彼らは何を夢みて宝くじを買うのだろうか。
高級老人ホームに入るためか、孫に財産を残すためか、一生の思い出に世界一周などするためか。

TVなどでアンケートを取って欲しい。
つまらないドキュメントよりよほど面白いと思う。

posted by なすび at 12:28| Comment(6) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月08日

上手な暇つぶし

「孤独のグルメ」は毎週録画して観ている。
所詮ドラマなのだからリアリティを求めてもとは思うが、主人公のビジネスには毎回疑問が拭えない。

この人、ちゃんと食っていけるのだろうか?

主人公は西欧家具・食器を扱っている輸入業者(自営)のようだが、個人相手の商売が主のようである。
主人公は毎回客の住む町に行き、打合せ、お届けをしたついでに、町のB級グルメを楽しんでいる。
結構大食いで、しかもコスパなど斟酌する気配はない。
最低でも2〜3品は頼むので安い店でも1,000円以上、焼肉店なんかであれば5,000円以上は食べていると思う。
顧客を訪問する交通費も掛るので、1回訪問すれば結構な物入りだ。
ときには自家用車で訪ねることもあり、車種はBMWだったように記憶している。

自分ひとりの会社で、自宅を事務所にし、家族はいないようだ。
交通費は当然として、車および維持費、家の修繕費・水道光熱費、衣服・外食費もすべて会社経費で落としているだろう。
仮に自分の給与を500万、会社に利益を残さないとしても、やはり粗利1,000万は必要だ。
家具食器の輸入業者がどれほどの粗利を稼げるかは分からないが、1割としても年商1億という商売になる。
インターネットで個人がひたすら頑張っても1億の商売は難しいだろう。
まして、対面の打合せやお届けなどという優雅な商売をしていたらとても無理だ。

主人公は毎回お気楽な顔で飯をパクついているが、「商売は大丈夫なのか」と聞きたくなって困る。
ただし、多額の遺産を相続し、一生喰うに困らぬ身分なら話は別だ。
たとえ持ち出しであっても、様々な町を訪ね、趣味を同じくする人と話し、上手い飯が食えるなら誠に上手な暇つぶしと言えるからだ。

posted by なすび at 16:25| Comment(6) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月05日

死ぬべきでない人

理研の事件を聞いたとき、

「死ぬべきでない人が死んだな」であり、

「男は脆いな」であり、

「挫折を知らない人はそういうことをするんだ」であり、

「彼の科学上の役割は終わっていたんだ」である。

彼は私と同世代である。
4月のTV会見で初めて観たが、たぶん好きなキャラだ。
私は頭がよく、ポジティブな人を尊重する。
だから、何の関わりもないが彼の死は本当に残念だ。

ご冥福をお祈りしますとしか言いようがない。

posted by なすび at 20:51| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月22日

詩が終り、歌が終る

若い頃はドラマのない人生など人生に値しないと思っていた。
しかし、ドラマのないままあっさりと私の青春は終わってしまった。

私が願っていたドラマとは何だろう。

凡夫と美女が偶然に満ち満ちた切ない恋愛をすることだろうか。
あるいは不遇の天才にある日突然スポットライトが当ることだろうか。

迷いごとといえば迷いごとだが、若者の深層などそんなものである。
少なくとも私はそうだった。

さて、いくら愚かな若者でも歳を取ればこんな妄想は抱けなくなる。
何故だかは分からない。
ある日突然、自分に酔うことが不可能になる。
恋愛も天才も自分の人生にとって重要でないことに気づいてしまったからだろう。

己に酔えなくなれば詩心は去って行く。
詩が終り、歌が終る刹那だ。

私は栄光あるシンガーソングライターではないので、ヤクに頼って詩心を取り戻す必要はない。
ただ終わった自分を淡々と受け入れるだけである。


posted by なすび at 18:40| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月13日

彼女の落し所

再び、小保方氏の会見ネタだ。
私は無名かつ匿名のブロガーなので、何の責任も影響力もない。
だから、心置きなく極言をしてみたい。

@弁明の相手を科学者から一般人に変更している。
 これは以前のエントリにも書いた。
 彼女はもう科学者を相手にしていない。
 科学者であれば、写真の差換えや改ざんだけでアウトだからだ。
 彼女を研究者として受け入れる組織は理研以外にない。
 彼女もそれを分かっているので、もう科学者を相手にすることは諦めてしまったのだろう。

A悪意(意図的な不正)でないことを強調している。
 さすがに科学者の間では通用しないだろう。
 ただ、一般人には意図なのかミスなのかの判断がつき難い。
 得意の女子力で同情を誘えば何とかなるかもしれない。 
 例えば、自動車で人を轢き殺したとする。
 意図であれば殺人だが、そうでなければ常務上過失である。
 罪の重さも、世間の見方もまったく違う。
 一般人相手に、刑法・民法レベルで判断して貰いたいのだろう。

B若くて未熟であると連呼している。
 50過ぎの私でも仕事上のミスや失敗はある。
 だから、30の彼女にもある・・・というのは大間違いで、写真の差換えや改ざんはミスではない。
 明らかな意図である。
 20の学生でもしてはいけないし、しないことだ。
 単なるスペル間違いとは次元が異なる。

C200回以上確認したと言っている。
 これは完全にフリである。
 2、3回でも十分説得できるのに、なぜこんな大きな数字を出す必要があるのだろうか。
 正規に検証しようとすれば、1回の確認に1週間は掛るという(200回で4年)。
 しかし、簡便法もあって、これだと短時間で確認ができるが、誤認の可能性もあるという。
 そこで彼女には簡便法の確認をした結果、誤認したというストーリーが成り立つ。
 彼女が落ちたい落とし穴かもしれない。

D偽装専門の弁護士をつけた。
 はや関心はSTAPの証明より、偽装ではなかったことの立証に向っているようだ。


以上から、
 @彼女は確信犯である。
 A既に研究者としての道は諦めている。
 Bただし、理研で再トライできたらという淡い期待はある。

そして、いずれ白黒ついた時には、
 C若さや、経験不足から出た悪意のないミスで事件を収めようとしている。

そうすれば、さすがに世間で人格まで否定されることはないから・・・。

残りの人生は長いから分からなくもないけど・・・。


posted by なすび at 09:03| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする