2016年03月11日

賢い部分もあるし、馬鹿な部分もある

人とは失敗に学ぶものでもあるし、同じ失敗を繰り返すものでもある。
失敗に懲りて学ぶときは、その人にとって対象が大変関心がある場合である。
一方、失敗を繰り返すときは、その人にとってさほど関心がない場合であろう。

私に関していえば、蓄財や自分個人の業務パフォーマンスには関心があったから、同じ失敗を繰り返した記憶はほとんどない。
逆に、仕事上の人間関係については、どこかどうでもいいと思う気持ちがあったので、同じようなトラブルを繰り返したはずだ。

賭け事や女遊びに多大な金を使う人がいる。
私だけでなく多くの人に理解されない人だろうが、こういう人は基本的に蓄財に興味がないのだろう。

関心がないことに関心を持てといっても無理だから、結局、人は進歩する部分もあるし、進歩しない部分もあるということになる。
賢い部分もあるし、馬鹿な部分を残したままだといってもいいかもしれない。

posted by なすび at 20:44| Comment(6) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月14日

なるようにしかならない

人間持って生まれたものがあるから、無理をしても大した進展は期待できない。
しかし、無理をしなければ生活を賄うこともままならない。
少しの無理ならまだいいが、大きな無理を続けることは辛い。
できれば少しの無理で一生を終えられたらと願う。
誰しも考えることだろう。

私は子供の頃から人に頭を下げたり、組織に縛られることが嫌いだったので、大人になると辛いことになる予感はあった。
浪人をしたのも、芸術に関心を持ったのも、大人になることから逃げ出したかったからだろう。

その予感通りの人生になったかというと、実際はそうでもない。
真っ青になったり、怒りや屈辱に震えることは何度かあったが、それなりにやり過ごすことはできた。
会社に行くのが嫌でしかたがない期間もあったが、得意絶頂の瞬間も幾度かあった。

そこそこの大学を出て、大企業に勤められたことが大きかったと思う。
個人で稼げるとはまったく思えなかったから、安易に会社を辞めなかったのもよかった。
結婚をしなかったから、それほど節約に励まなくても55でリタイアすることができそうだ。
これが私の命運だったのだろう。

他人に過度な期待は禁物であるように、自分にも過度な期待は禁物である。
歳を取れば諦めとともに納得することだが、若者がそれを受け入れることはできない。
私もそうだった。
要はなるようにしかならないということだろう。

posted by なすび at 18:05| Comment(6) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月03日

目に見えない世界を信じる

漫画家の水木しげるが亡くなった。
それをきっかけに、ネットでよく取り上げられたのが彼の人生訓「幸福の七か条」である。
いかにも水木らしく、興味深く読んだ。

 ・成功や栄誉や勝ち負けを目的にことを行ってはいけない
 ・しないではいられないことをし続けなさい
 ・他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし
 ・好きの力を信じる
 ・才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ
 ・怠け者になりなさい
 ・目に見えない世界を信じる

私は以前、水木の自伝漫画を読んだことがある。
彼は子供の頃(昭和の始め)から超マイペースで、寝たいときに寝たいだけ寝、食べたいときに食べたいだけ食べていたようだ。
自然に目が覚めるまで起きない、朝食は時間をかけてゆっくり食べる・・・よって小学校には毎日遅刻して行った。
しかし、本人がまったく気にかけないので、とうとう親も先生も諦めて好きにさせていたとのこと。
生まれながらのマイペース野郎である。

こういう人間だからそもそも一般人とは別次元である。
この人生訓も悩み、苦しみの中から編み出されたものではなく、彼が子供の頃から自然と実践していた行動規範というほうが正しいだろう。
組織の規律に悩み、何とか逃れようとし続ける我々一般人が安易に参考にできるものではない。

凡人が非凡を真似ても仕方がない話だ。
我々はせいぜい周りを見渡して、息が抜けそうなときに息を抜く程度でよいのだろう。
下手に水木の真似をすれば、手痛いしっぺ返しを食らうかもしれない。

私はこの人生訓の中では「目に見えない世界を信じる」が好きだ。
世の中にはまだまだ不思議なことがある・・・と思えるのは楽しく、心温まるものだ。
もし水木の心境に近づけるとすれば、目に見えない世界を本当に信じ切れたときだろう。

posted by なすび at 20:37| Comment(4) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月23日

人とは

もし後輩に聞かれたら、こう答えたいと思うことがある。
しかし、50半ばになる現在まで誰にも尋ねられたことがないので、ブログで自問自答することにする。

それは「人とは?」という問いであり、答えは「変わらないもの」、そして「疑ってかかるもの」である。

「変わらないもの」は随分と若い時分から、そう思っていた。
変わろうと努めても努めても、自分がちっとも変わらなかったからである。
だから、人とはそのようなものだと理解した。
そう思って、身近な人を眺めてみると、確かに彼らも変わらない。
親兄弟など付き合いが長いから、長期にわたって観察ができる。
欠点はいつまでも欠点のままであり、長所も(他人の長所は気づきにくいからよく分からないが)たぶんそのままだろう。

「疑ってかかるもの」は三十を過ぎてからだ。
もちろん、ここで疑うのは、金や利害が絡むケースである。
それ以外の言葉をむやみに疑うわけではない。

若い時分は、どちらかというと信じやすいほうであった。
いわゆる「おだてに乗りやすいタイプ」であった。
しかし、社会人経験を重ねると・・・自分に降りかかる損として実体験する回数が増えてきた。
その後長期にわたって、ひどい痛みを伴うこともあった。
いまや、誰も信じることはない。
十分に情報を集め、自分の好みや損得を推し量って、話に乗る乗らないを決めるだけである。

人生経験を積んだ中高年としては残念な気もするが、これが事実なのでしかたがない。
死ぬまでこの基準で人を判断すると思うから、あまり友達ができる気はしていない。

posted by なすび at 00:02| Comment(6) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月06日

三島事件について

1970年11月25日、三島由紀夫と彼に賛同する楯の会のメンバー4名が市谷の自衛隊駐屯地を訪ねた。
総監を監禁し、脅迫し、隊員をバルコニー前に集めさせ、憲法改正の決起を促す演説を行なった。
その後、割腹自決をし、メンバーのうち1名がそれに殉じた。
世に言う「三島事件」である。

ちょうど日本が世界第2位の経済大国になった頃で、国民の多くが敗戦を忘れ、平和と繁栄を享受したいと思っていた。
自衛隊員も例外ではない。
彼らも現代以上にサラリーマン化していたに違いない。
果たして隊員は決起することもなく、三島事件は天才の奇矯な行動として片付けられた。

決起の一週間前の三島のインタビュー録音が残っている。
約一時間に亘り、文学や思想について語っている。

私は繰り返し聞いてみたが、やはり頭のいい人だ。
論旨も明晰で、45歳の成功者に相応しい自信と落ち着きがあり、一週間後にあんな奇矯な事件を起こすとはとても思えない。
二、三、事件を臭わせるような箇所もあるが、「ちょっと世を騒がせるかなあ」という程度の感覚で、割腹自決を決意しているとは思えない。

私は何だかとても残念な気がしてきた。
三島事件から45年経っているから、もし事件がなくても今は生きてはいまいが、80年代、90年代の彼の話を聞いてみたかった。
彼がその時代をどのように生き、語るのかを見てみたかった。
日本文学界の最後のカリスマだったからである。

私は漠然と楯の会のメンバーは三島と同世代だと思っていた。
ところが、実際は20代前半の若者であった(メンバーは全員で約100名)。
三島に殉じたのも25歳の青年である。
45のおっさんと25の若者が一緒に自殺したことになる。
普通に考えれば、おっさんが前途ある若者を道連れにしたことになるのだが、若者が三島を道連れにしたという説もあるから奥深いものだ。

posted by なすび at 22:24| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする