2015年11月23日

人とは

もし後輩に聞かれたら、こう答えたいと思うことがある。
しかし、50半ばになる現在まで誰にも尋ねられたことがないので、ブログで自問自答することにする。

それは「人とは?」という問いであり、答えは「変わらないもの」、そして「疑ってかかるもの」である。

「変わらないもの」は随分と若い時分から、そう思っていた。
変わろうと努めても努めても、自分がちっとも変わらなかったからである。
だから、人とはそのようなものだと理解した。
そう思って、身近な人を眺めてみると、確かに彼らも変わらない。
親兄弟など付き合いが長いから、長期にわたって観察ができる。
欠点はいつまでも欠点のままであり、長所も(他人の長所は気づきにくいからよく分からないが)たぶんそのままだろう。

「疑ってかかるもの」は三十を過ぎてからだ。
もちろん、ここで疑うのは、金や利害が絡むケースである。
それ以外の言葉をむやみに疑うわけではない。

若い時分は、どちらかというと信じやすいほうであった。
いわゆる「おだてに乗りやすいタイプ」であった。
しかし、社会人経験を重ねると・・・自分に降りかかる損として実体験する回数が増えてきた。
その後長期にわたって、ひどい痛みを伴うこともあった。
いまや、誰も信じることはない。
十分に情報を集め、自分の好みや損得を推し量って、話に乗る乗らないを決めるだけである。

人生経験を積んだ中高年としては残念な気もするが、これが事実なのでしかたがない。
死ぬまでこの基準で人を判断すると思うから、あまり友達ができる気はしていない。

posted by なすび at 00:02| Comment(6) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月03日

ある夜の出来事

以前、アパートに中国嫁が住むようになった話はした。
たぶん、その知り合いだろう、私の隣室にも中国人夫婦が引越してきた。
ひとり中国人が住み出すと、途端に増え始めるのが中国人の習性だ。

この夫婦、仲がよろしくないようで、かつ、妻がヒステリー体質のようで、しばしば激しい喧嘩をする。
叫ぶ、物を投げる、壁を叩く、物騒なこと甚だしい。

その日も、深夜にやり始めた。
今までになく激しい。
アパート中に響き渡る感じだ。

私は夫婦喧嘩だろうと薄々思いながら、酒を飲んで、退屈もしていたから、つい隣家のドアを叩き、「何が起きてるの。大丈夫。」と声をかけた。
何度か声をかけるうちに、穏やかそうな夫がドアを開け、丁寧な日本語で「夫婦喧嘩です。妻がヒステリーを起こし、コントロールが効きません」と話した。
見ると床に座り込んで、女が泣き喚いていた。

決して安物のアパートではない。
夫も丁寧な日本語を話すから、それなりの会社で働いているのだろう。
可哀相に、変な女を掴んだものだ。

私は最近の中国の反日活動や、ふたつ隣の中国嫁の振舞いに気分を害していたから、悪いと思いながら、その穏やかな夫に八つ当たりをした。
私「ここは中国ではありません。日本に来たら、日本のルールを守ってください。」
 「日本人は隣近所のことを考えず、深夜に大喧嘩はしません。」
夫「私は理解しています。妻のヒステリーが止まらないのです。」
私「あなたの奥さんでしょう。あなたが責任を持ってください。」

とはいえ、問題はヒステリー妻だから、これ以上、夫を責めてもしかたがない。
最後に夫は「もう直ぐ離婚するのです」と言い出だすから、私も思わず「そうですか。離婚して、さっさと出て行ってください」と捨て台詞を残して引き下がった。

過去の喧嘩も離婚話が原因かもしれない。
せっかく日本に来たのに、また中国に戻らざるを得ない妻にも同情心が沸いてきた。

騒ぎはまだ続いているが、理由は分かった。
「うるさいな」と思いながら自室でPCを見ていた。

インターホンを鳴るから、夫が詫びに来たのかと思ったら、何と警察だった。
アパート中に響き渡ったから、誰かが呼んだのだろう。

警官は3、4人はいただろうか。
「隣で夫婦喧嘩をしていたようですよ」と言ったら、「分かりました」と言って直ぐ隣室に向った。
犯罪性はないから、事情を聞いて、注意して、それでお仕舞いだろう。

それだけの話だが、やはり外人は習慣が違う。
中国では激しい喧嘩も珍しくないし、それで隣人が注意をしたり、警察が来ることもないだろう。
文化の違う人が近所にいると大変である。
やはり移民は反対・・・という、いつもの話で終るのである。


【後記】
 翌朝、夫が私を訪ね、昨夜の騒動を詫びに来た。
 日本人でもできない人が多いのに、ちゃんとしたものだ。
 やはり、教育があり、しかるべき会社で働いている感じであった。
 意外にも、ふたつ隣の中国嫁とは無関係なようである。
 偶然、中国人が2部屋続いたことになる。
 それだけ中国人が増えているということだろうか。

posted by なすび at 20:54| Comment(6) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月30日

子供がいないということ

子供がいないのは一般的には残念なことだが、その人が属する組織にとってはプラスであることが多い。
仕事人生の後半に地位や金に執着することが少なく、仕事のための仕事をしてもらえるからだ。

彼には金を残すべき対象がいないし、父親の出世を共有する対象もいない。
純粋に会社のため、自分の美意識のために仕事をするケースが多いだろう。
だから、醜い社内政治や出世競争から一線を引くのである。
それは組織を健全に保つには大変よいことである。

汚職天国の中国でも子供がいない官僚は汚職をしないという。
まったくしないわけではないだろうが、自分と親や妻が贅沢できる程度で止めてしまうのだろう。
リスクを冒して汚職をしても、残すべき対象がないのだから、どこかで歯止めが利く。
兄弟やその子供のために無理をする人は少ない。

日本では安倍総理は子供がいない。
夫婦とも生まれながらの資産家だから、子供を産まないと決めた時点で、出世のための出世は念頭から外れているだろう。
彼が今、日本の総理という面倒な重労働をしているのは、政治家として何かを残したいという個人の美意識だろう。
一回目に失敗したから、リベンジで名誉挽回したいという気持ちだけかもしれない。
安倍政権の施策に問題がないわけではないが、「利権の遺産」を子に残す気がないから、比較的クリーンであることには確かだと思う。

私自身30後半で「結婚は無理」という感じがしたから、それ以降、子供を持つことは基本考えなかった。
だから、仕事は自分の美意識、やりがい、納得が主軸になった。
それで、ある程度収入が得られたら「よし」と考えていた。
上に上げてもらいたくて上司に媚びたこともほとんどない。
結果、大して出世もしなかったが、害をなすことも少なかったと思っている。

子供がいないということは当人は残念な気もするだろうが、組織のトップになる人には「いないほうがよい」と思う。
子供に後を継がせたくて晩節を汚す政治家、経営者は本当に多いからである。

posted by なすび at 17:22| Comment(12) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月30日

モテなくてよかった

私は最近モテたいと思ったことがない。
タダでチヤホヤしてくれる人などこの世にいないからである。

私が若い娘であれば私の肉体が目的であり、将来のある若者であれば結婚が目的だ。
中高年であれば・・・金か、権力か、家事労働力だろう。

チヤホヤして貰おうとすれば、相手が求めるものを実際に支払うか、将来支払うという空約束(嘘)をする必要がある。
タダでチヤホヤを受け取ると、そのうち愛想をつかされるか、刺されるかのどちらかである。
歳を取って経験を重ねれば、そんなことは自明だろう。

私は虚栄のために金を払う趣味はないし、嘘をつくのも嫌だ。
愛想をつかされるのも物悲しいし、刺されるのは単純に困る。
だから、モテたくはないのである。

私も昔はモテたいと願っていたが、いま考えると恐ろしいことだ。
そのときの私は支払いなどをする気は毛頭なかったからである。

結論は「モテなくてよかった」ということになる。


【追記】
街で稀にドキッとするような美少女を見ることがある。
こういう与えるものが多い人は余程人を見る目がない限り、そのうち辛い経験をすることになるだろう。
何だか切なくて、思わず目を逸らすのである。

posted by なすび at 16:11| Comment(6) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月25日

pha氏について

ネットにpha氏の記事があった。
新著が出るから、その宣伝記事だろう。

このpha氏、不思議な人である。
友人と共同生活をしたり、ネットで食事をおごってくれる人を募ったりするくらいだから、社交が不得手な人ではないだろう。
学歴もいいから、普通に大企業でやっていけそうな感じである。
(就職はしたが、数年で辞めているようだ。)

インタビュー記事や動画を見たが、基本的に世俗欲が薄い感じである。
出世して、いっぱい稼いで、家族を養うという気がない。
金に関しても、自分一人が生きていけるだけで十分という感じだ。
世俗欲の強い弱いはあるが、ここまで薄い感じの人は珍しい。
かなり特殊な人だろう。

挫折する人というのは、世俗欲をある程度持ちながら、能力(社交性・ストレス耐性・学歴・実力)を持ち合わせていない場合が大半である。
そういう人がpha氏を参考にできるかといえば、大いに疑問だ。
彼らとは真逆な人だと思うからだ。

人は欲があり、その欲に現実がついてこないから苦しむ。
これはしかたがないことだろう。
せめて外部から押し付けられた世俗欲ではなく、自身が真に求める欲を追求したいと願う人もいる。
「本当の自分」の追求である。

こういう試みが成功するかは疑問であるが、そういう願いを持つ人が読む本としてはいいのかもしれない。

posted by なすび at 10:55| Comment(4) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする