2017年05月29日

馬鹿について

馬鹿の特徴は自分が馬鹿であることに気づいていないことだ。
困ったものである。

逆にいえば、賢い人は自分の程度が分かっている。
Aさんよりは賢いが、Bさんよりは馬鹿だ。
総じて自分の頭は世の平均以上はあるだろう・・・などという思考ができる人だ。
こういう人はそれほど多くない。

自分がよく知っている分野で、分かり切った話を延々とされて困惑した人は少なくないだろう。
話している相手は私の実績やキャリアを知っているはずなのに・・・。
真面目で不遜な人ではないはずなのに・・・。
何かが欠落しているのだろう。

賢い人はこういう時、「釈迦に説法ですが」と前置きをしながら話を進め、相手の程度を見極めようとする。
相手の程度が分かれば失礼な対応をしなくて済む。
その人を支援するにしても騙すにしても程度が分かったほうが便利である。

しばらく会話をして、自分と相手の距離(程度の違い)を把握できない人は馬鹿である。
馬鹿が言い過ぎであれば、賢くない。

昨日は馬鹿と話して嫌気がさした。
そのストレスを発散したいがための記事である。

posted by なすび at 12:35| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月25日

成功について

成功は世俗的である。
出世であり、金であり、魅力的な異性であり、人気である。

人は誰しも成功を望むと思いがちだが、実際はそうでもない。
成功が目の前に止まっているのに、手を伸ばさなかったり、自ら遠のいたりした経験がある人は多いだろう。
理性では成功を求めながら本心では成功を拒否している場合はある。

実際に成功はいいことばかりではない。
いい評判を維持するには自制し続ける必要もあるし、それに囚われて窮屈なことも多い。
有名人にはなりたいが、なってしまえば無名人の自由や気楽さはなくなるのである。

私は若い頃、成功の欠点には思い至らなかった。
若者はとにかく理性で解決できると思うから、成功を拒否する自分を不甲斐なく情けなく思ったものだ。
本心は成功を重苦しく受け止めていたから、それほど乗り気ではなかったのだろう。
結局、それで正解だったということだ。

posted by なすび at 20:36| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月24日

才能について

才能はある人にはあるが、ない人にはない。
何事かを始めて直ぐに「俺はこの分野では凄い、負ける気がしない」という感覚がなければ、その人は才能がないのだろう。

私には際立った才能はなかった。
ただ、「これは無理なくできる、得意だ」と思う程度の分野はあった。
それは一般の社会では十分通用するから、その分野を生かしてやってきた。

若いころは才能を切望していたが、中高年になるとそれほど願わなくなった。
食うに困る心配がなくなったことと、注目されても大層得になると思えなくなったからだ。

ただ、人を凌駕する分野があれば楽しいだろうと思う。
気分はいいし、熱中できれば、いい暇つぶしになる。
今はそんな感じである。

posted by なすび at 15:44| Comment(4) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月03日

説得などナンセンス

人は変わらない生き物だ。
だから、説得などナンセンスである。

とは思いながら、私もときに説得を試みる。
自分の感情を発散するためだ。
要は自己満足である。

正しい大人の処し方としては「私はこう思う。理由はこうだから」と話し、相手が乗ってこなければ、あっさりと打ち切るのがよいだろう。
私としては相手に配慮する必要はない。
自分が思うとおりにしたらいいのである。

しかし、自分一人では決定できない事案は厄介である。
夫婦や家族で意思が異なる場合である。
この場合でも極論すれば方法は二つしかない。
「相手との離反を覚悟し、自分の意思を通す」あるいは「自分の意思を曲げて相手に従う」。

こういうケースは正直に「私はこうしたい」と願望を述べるのが潔いだろう。
例えば「家族の生活は不安定になるが、私はもう働きたくない」という感じである。
当然妻子からは非難囂々だろう。
利害が異なるのだからしかたがない。

よく意見が違うという言いかたをするが、正しく言えば利害が異なるのである。
だから、理屈で説得することはまず不可能だ。
金でも渡したほうが余程いい。

posted by なすび at 20:52| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月11日

賢い部分もあるし、馬鹿な部分もある

人とは失敗に学ぶものでもあるし、同じ失敗を繰り返すものでもある。
失敗に懲りて学ぶときは、その人にとって対象が大変関心がある場合である。
一方、失敗を繰り返すときは、その人にとってさほど関心がない場合であろう。

私に関していえば、蓄財や自分個人の業務パフォーマンスには関心があったから、同じ失敗を繰り返した記憶はほとんどない。
逆に、仕事上の人間関係については、どこかどうでもいいと思う気持ちがあったので、同じようなトラブルを繰り返したはずだ。

賭け事や女遊びに多大な金を使う人がいる。
私だけでなく多くの人に理解されない人だろうが、こういう人は基本的に蓄財に興味がないのだろう。

関心がないことに関心を持てといっても無理だから、結局、人は進歩する部分もあるし、進歩しない部分もあるということになる。
賢い部分もあるし、馬鹿な部分を残したままだといってもいいかもしれない。

posted by なすび at 20:44| Comment(6) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする