2016年10月25日

成功について

成功は世俗的である。
出世であり、金であり、魅力的な異性であり、人気である。

人は誰しも成功を望むと思いがちだが、実際はそうでもない。
成功が目の前に止まっているのに、手を伸ばさなかったり、自ら遠のいたりした経験がある人は多いだろう。
理性では成功を求めながら本心では成功を拒否している場合はある。

実際に成功はいいことばかりではない。
いい評判を維持するには自制し続ける必要もあるし、それに囚われて窮屈なことも多い。
有名人にはなりたいが、なってしまえば無名人の自由や気楽さはなくなるのである。

私は若い頃、成功の欠点には思い至らなかった。
若者はとにかく理性で解決できると思うから、成功を拒否する自分を不甲斐なく情けなく思ったものだ。
本心は成功を重苦しく受け止めていたから、それほど乗り気ではなかったのだろう。
結局、それで正解だったということだ。

posted by なすび at 20:36| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月03日

説得などナンセンス

人は変わらない生き物だ。
だから、説得などナンセンスである。

とは思いながら、私もときに説得を試みる。
自分の感情を発散するためだ。
要は自己満足である。

正しい大人の処し方としては「私はこう思う。理由はこうだから」と話し、相手が乗ってこなければ、あっさりと打ち切るのがよいだろう。
私としては相手に配慮する必要はない。
自分が思うとおりにしたらいいのである。

しかし、自分一人では決定できない事案は厄介である。
夫婦や家族で意思が異なる場合である。
この場合でも極論すれば方法は二つしかない。
「相手との離反を覚悟し、自分の意思を通す」あるいは「自分の意思を曲げて相手に従う」。

こういうケースは正直に「私はこうしたい」と願望を述べるのが潔いだろう。
例えば「家族の生活は不安定になるが、私はもう働きたくない」という感じである。
当然妻子からは非難囂々だろう。
利害が異なるのだからしかたがない。

よく意見が違うという言いかたをするが、正しく言えば利害が異なるのである。
だから、理屈で説得することはまず不可能だ。
金でも渡したほうが余程いい。

posted by なすび at 20:52| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月11日

賢い部分もあるし、馬鹿な部分もある

人とは失敗に学ぶものでもあるし、同じ失敗を繰り返すものでもある。
失敗に懲りて学ぶときは、その人にとって対象が大変関心がある場合である。
一方、失敗を繰り返すときは、その人にとってさほど関心がない場合であろう。

私に関していえば、蓄財や自分個人の業務パフォーマンスには関心があったから、同じ失敗を繰り返した記憶はほとんどない。
逆に、仕事上の人間関係については、どこかどうでもいいと思う気持ちがあったので、同じようなトラブルを繰り返したはずだ。

賭け事や女遊びに多大な金を使う人がいる。
私だけでなく多くの人に理解されない人だろうが、こういう人は基本的に蓄財に興味がないのだろう。

関心がないことに関心を持てといっても無理だから、結局、人は進歩する部分もあるし、進歩しない部分もあるということになる。
賢い部分もあるし、馬鹿な部分を残したままだといってもいいかもしれない。

posted by なすび at 20:44| Comment(6) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月14日

なるようにしかならない

人間持って生まれたものがあるから、無理をしても大した進展は期待できない。
しかし、無理をしなければ生活を賄うこともままならない。
少しの無理ならまだいいが、大きな無理を続けることは辛い。
できれば少しの無理で一生を終えられたらと願う。
誰しも考えることだろう。

私は子供の頃から人に頭を下げたり、組織に縛られることが嫌いだったので、大人になると辛いことになる予感はあった。
浪人をしたのも、芸術に関心を持ったのも、大人になることから逃げ出したかったからだろう。

その予感通りの人生になったかというと、実際はそうでもない。
真っ青になったり、怒りや屈辱に震えることは何度かあったが、それなりにやり過ごすことはできた。
会社に行くのが嫌でしかたがない期間もあったが、得意絶頂の瞬間も幾度かあった。

そこそこの大学を出て、大企業に勤められたことが大きかったと思う。
個人で稼げるとはまったく思えなかったから、安易に会社を辞めなかったのもよかった。
結婚をしなかったから、それほど節約に励まなくても55でリタイアすることができそうだ。
これが私の命運だったのだろう。

他人に過度な期待は禁物であるように、自分にも過度な期待は禁物である。
歳を取れば諦めとともに納得することだが、若者がそれを受け入れることはできない。
私もそうだった。
要はなるようにしかならないということだろう。

posted by なすび at 18:05| Comment(6) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月03日

目に見えない世界を信じる

漫画家の水木しげるが亡くなった。
それをきっかけに、ネットでよく取り上げられたのが彼の人生訓「幸福の七か条」である。
いかにも水木らしく、興味深く読んだ。

 ・成功や栄誉や勝ち負けを目的にことを行ってはいけない
 ・しないではいられないことをし続けなさい
 ・他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし
 ・好きの力を信じる
 ・才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ
 ・怠け者になりなさい
 ・目に見えない世界を信じる

私は以前、水木の自伝漫画を読んだことがある。
彼は子供の頃(昭和の始め)から超マイペースで、寝たいときに寝たいだけ寝、食べたいときに食べたいだけ食べていたようだ。
自然に目が覚めるまで起きない、朝食は時間をかけてゆっくり食べる・・・よって小学校には毎日遅刻して行った。
しかし、本人がまったく気にかけないので、とうとう親も先生も諦めて好きにさせていたとのこと。
生まれながらのマイペース野郎である。

こういう人間だからそもそも一般人とは別次元である。
この人生訓も悩み、苦しみの中から編み出されたものではなく、彼が子供の頃から自然と実践していた行動規範というほうが正しいだろう。
組織の規律に悩み、何とか逃れようとし続ける我々一般人が安易に参考にできるものではない。

凡人が非凡を真似ても仕方がない話だ。
我々はせいぜい周りを見渡して、息が抜けそうなときに息を抜く程度でよいのだろう。
下手に水木の真似をすれば、手痛いしっぺ返しを食らうかもしれない。

私はこの人生訓の中では「目に見えない世界を信じる」が好きだ。
世の中にはまだまだ不思議なことがある・・・と思えるのは楽しく、心温まるものだ。
もし水木の心境に近づけるとすれば、目に見えない世界を本当に信じ切れたときだろう。

posted by なすび at 20:37| Comment(4) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする