2017年07月20日

弥生時代に思いをはせる

縄文、弥生と並列に語られるが、縄文時代が1万4千年も続いたのに、弥生時代は700年程度の長さに過ぎない。
時間でいえば、弥生は縄文の十分の一以下である。
一つの確固たる時代というより、縄文から古墳時代(卑弥呼や聖徳太子の時代)への移行期と考えたらいいのかもしれない。
近代でいえば、江戸・明治と幕末のような関係だろう。

縄文と弥生の決定的な違いは「人を殺す」ようになったかどうかだ。
縄文の遺跡では一例も見つからないが、弥生の遺跡でしばしば見られるのは「武器によって傷ついた人骨」である。
また、中国大陸から北九州を拠点に「相当数の移民」が到着したと思われる。
北九州の遺跡の人骨は当時の中国人に似ているという。
縄文時代に平和に暮していた人々が大陸の影響で内乱を始めたのが弥生時代と言えるかもしれない。

DSC_2175.jpg

こんな話をするのも、弥生時代の遺跡を見学してきたからだ。
遺跡には古代ハスも咲いていた。
大賀博士が弥生時代の遺跡から発見した種で開花させたハスだ。

ついでに、海岸に出てハマユウを見てきた。
砂浜に咲く地味な花である。

空とハマユウ。

DSC_2204.jpg

海とハマユウ。

DSC_2198.jpg


posted by なすび at 12:12| Comment(4) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
三内丸山遺跡は6000年ぐらい縄文人が生活していましたが集落の規模は精々数百人程度。
狩猟採集生活では、それ以上になれば回りの獲物を取りつくしてしまう。
栗なども栽培していた様ですが冬迄までしか保存出来ません。
それに比べ 弥生人の 持ってきた 米は 一年中 でも保存が可能 。
しかも人と土地を 増やせば増やすほど多く取る ことができる。
だったら 他の土地と人を奪い とる ことは 経済的な合理性にかなっているわけです。
やがて 村だったところは 戦いを繰り返して小国になり、 初代天皇 や卑弥呼が誕生したのでしょうね。
Posted by バッタモン at 2017年07月21日 07:31
バッタモンさん

縄文人が弥生に入ってなぜ争い始めたのかは謎です。
稲作も縄文後期には始まっていました。
縄文人は大陸にも行っているし、大陸からも渡来人は来ていました。
どれが決定稿かよく分かりません。

私は弥生・古墳の時代が一番好きです。
断片的な記録しか残っていないので推理する楽しみがあります。
一般に思うより遥かに進んだ文明を持ち、グローバルに活動していた気がするんですよね。
「古代のロマン」ですね(笑)。
Posted by なすび at 2017年07月21日 10:36
歴史が一番苦手なものです。
歴史に詳しい人はマジ尊敬します。

なので写真について(植物の名前とかおぼえるのも苦手です)。
古代ハスはピンクでとてもきれいですね。
それに対してハマユウは地味な感じですね。名前は素敵なのに
Posted by pin at 2017年07月21日 18:32
pinさん

蓮は私が一番好きな花かもしれません。
花も好きですが葉も好きです。
素朴だけど神々しい感じもします。
古代のイメージにピッタリですね。

海辺に咲く花は少ないです。
だから、ハマユウでも注目されます。
夏の海に咲かないなら誰も相手にしないでしょう。
Posted by なすび at 2017年07月21日 19:27
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