2015年11月06日

三島事件について

1970年11月25日、三島由紀夫と彼に賛同する楯の会のメンバー4名が市谷の自衛隊駐屯地を訪ねた。
総監を監禁し、脅迫し、隊員をバルコニー前に集めさせ、憲法改正の決起を促す演説を行なった。
その後、割腹自決をし、メンバーのうち1名がそれに殉じた。
世に言う「三島事件」である。

ちょうど日本が世界第2位の経済大国になった頃で、国民の多くが敗戦を忘れ、平和と繁栄を享受したいと思っていた。
自衛隊員も例外ではない。
彼らも現代以上にサラリーマン化していたに違いない。
果たして隊員は決起することもなく、三島事件は天才の奇矯な行動として片付けられた。

決起の一週間前の三島のインタビュー録音が残っている。
約一時間に亘り、文学や思想について語っている。

私は繰り返し聞いてみたが、やはり頭のいい人だ。
論旨も明晰で、45歳の成功者に相応しい自信と落ち着きがあり、一週間後にあんな奇矯な事件を起こすとはとても思えない。
二、三、事件を臭わせるような箇所もあるが、「ちょっと世を騒がせるかなあ」という程度の感覚で、割腹自決を決意しているとは思えない。

私は何だかとても残念な気がしてきた。
三島事件から45年経っているから、もし事件がなくても今は生きてはいまいが、80年代、90年代の彼の話を聞いてみたかった。
彼がその時代をどのように生き、語るのかを見てみたかった。
日本文学界の最後のカリスマだったからである。

私は漠然と楯の会のメンバーは三島と同世代だと思っていた。
ところが、実際は20代前半の若者であった(メンバーは全員で約100名)。
三島に殉じたのも25歳の青年である。
45のおっさんと25の若者が一緒に自殺したことになる。
普通に考えれば、おっさんが前途ある若者を道連れにしたことになるのだが、若者が三島を道連れにしたという説もあるから奥深いものだ。

posted by なすび at 22:24| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
確かに頭は良かった。
しかし、彼にはずる賢さや狡猾さはなかっなぁ。
知識はあったが知恵がなかった。
一部のインテリには慕われましたが、
彼のことばでは
大衆は動きませんよ。
Posted by バッタモン at 2015年11月07日 20:24
バッタモンさん

人を動かすことを目的とした決起ではないと思います。
そうであれば、石原慎太郎のように作家をやめて政治家になるでしょう。
飽くまで、彼個人の美意識・自己満足の成就が目的でしょう。

ただ、実際に自分が死ぬことをどこまで自覚していたのか。
自分が決めたことは生真面目に実行する人だから、「明日は鍛錬を2時間行い、古典文学を3時間勉強する」という感覚で市谷に向かったのかもしれませんね。

気が向けば、一度インタビューを聞いてみてください。
Posted by なすび at 2015年11月07日 22:31
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